鶴岡の食文化を紡ぐ人々

No.031 〜切り山椒〜
 
遠州屋 斎藤進さん

一年に一度口にする、鶴岡の年の瀬の味

 鶴岡市内の菓子店では、12月に入ると年の瀬を告げるお菓子「切り山椒」作りが盛んに行われます。この「切り山椒」を12月17日の観音堂のお祭りに出しているという遠州屋2代目主人の斎藤進さんにお話を伺いました。


  「切り山椒」というのは、明治のはじめ頃、鶴岡市一日市町の老舗菓子店、長崎屋8代目主人の佐藤甚右衛門さんが、東京の浅草の菓子を参考に作ったと言われています。その年にあまったお菓子のくずを大切にとっておき、邪気祓いの山椒を混ぜて風味をだし、12月17日に開かれる鶴岡市本町2丁目(旧七日町)の観音堂の例祭「観音様のお歳夜」で縁起菓子として売り出しました。かつては、この日だけ「切り山椒」が売られていました。 いまでは長崎屋もなくなり、鶴岡市内の菓子店では、それぞれの原材料と製造方法で作っています。


切り山椒作り

  この冬2回目の「切り山椒」を作るというので、12月6日に遠州屋さんを伺いました。  遠州屋初代の斎藤庄蔵は、明治5年に旧庄内藩士たちが、松ヶ岡でお茶の栽培をするということで、菅実秀に見い出され、静岡県(遠州)から指導役として来鶴しました。明治6年に七日町の斎藤家の人となり、上肴町で遠州屋をおこしそれ以来、製茶と各種植木の生産販売をしていました。ところが、栽培北限とも言われた松ヶ岡での茶の栽培がうまくいかず、4代目からは鶴岡で当時から盛んであった茶道のお茶菓子を作り始めました。 進さんは5代目となりますが、菓子店主としては2代目になります。 現在は進さんの息子さんも洋菓子を担当し、6人の職人さんが忙しく働いています。店の奥の方に工場があり、広い作業場には洋菓子を作っている息子さんらと「切り山椒」や饅頭などの和菓子を作っている進さんの場所に分かれていました。




 早速、「切り山椒」を作るところを見せてもらうと、前日までに下ごしらえしてあった生地がありました。「切り山椒」には、使用する白砂糖と黒砂糖の違いから、白と黒があります。生地を次々に細長く機械で切っていきます。
  
 遠州屋さんではこの「切り山椒」を作った後、クリスマスのお菓子の製造になるそうです。進さんに「お店のお菓子の中で何が一番好きですか?」と訪ねると 朝生と言われるお菓子を代表する「きんつば」や「どらやき」が好きだと話してくれました。当時は、朝早起きして作り、昼で売りきれたときに仕事が終わったといいます。
 



前日までに仕込んであった生地
 

 

専用の機械で

一枚ずつ専用の機械で細長くカットされていきます。
 鶴岡市では昔から独自の和菓子文化が続いてきましたが、この日も、翌日のお茶会で出されるという、お茶の先生から依頼のあった和菓子も作っていました。  日本の菓子文化は室町時代からお茶の文化の中に続いてきて、今も生活の中に溶け込んでいます。洋菓子ももちろん良いのですが、和菓子の良さをもう一度味わってもらいたいと進さんはいいます。「和菓子職人は、その人のアイディアとセンスが生かされる手仕事なんだよの」と、誇らしげに笑顔で話してくれました。


鶴岡市旧七日町の観音堂

観音堂のお歳夜

 12月17日強風波浪警報が出る吹雪の中、「観音堂のお歳夜」に足を運んでみると、悪天候にもかからず、次から次へと人が訪れていました。神社にお参りした後、だるまや熊手などの正月の縁起ものを求め、それと一緒にそれぞれのお好みの菓子店の「切り山椒」を選んでいました。
 
 

だるま市

だるまなど正月の縁起物が並ぶ



切り山椒

縁起物として売られる切り山椒


(文・写真 俵谷敦子)

切り山椒

「切り山椒」は山椒の味の効いた、細く切られた柔らかい歯触りのよい餅菓子。原材料の白砂糖と黒砂糖から白と黒がある。年の瀬の鶴岡には欠かせない季節の風物詩でもある。



販売
時期



12月

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