鶴岡の食文化を紡ぐ人々

No.049  〜身欠き(みがき)ニシン〜
 
       知憩軒 長南光さん

豊かな食の風土がある鶴岡。季節ごとのおいしい食材がありますが、冬季は山間部から里の集落の暮らしは特に厳しく、かつては新鮮な食材を手に入れるのは、一般家庭には大変贅沢なことでした。そういった場所で冬場でも家族全員がおなかを満たすために、様々な工夫をして生活していました。今回は、農家民宿の知憩軒の長南光さんに、暮らしの中の保存食や採集のお話をお聞きしました。

長南光さん

保存食と田舎料理

 知憩軒は、旧櫛引町の果樹栽培の盛んな西荒屋地域の一角にあります。鶴岡の里の家庭の味をいただくことのできる農家レストラン、農家民宿です。その雰囲気と昔ながらのほっとする食事に、初めて来た人でもなぜか懐かしいような気持ちにさせてくれる、そんな場所です。
 「特別な食事というよりも私がむかしっから食べてた田舎料理を出してるだけなのよ」と長南さんは笑います。

身欠きニシン

「今日もお昼に来た若い女性二人組は、この魚は何ですか?おいしいと言って食べてくれましたよ。」というのは、身欠ニシン(みがきにしん)の煮物。身欠ニシンは、生ではそれほど日持ちがしないニシンを一尾ずつ処理し生干しし、硬く乾燥させた保存食のひとつです。今でこそ冷蔵庫が普及し、流通も発達しているのでスーパーマーケットに行けばいつでもほしい物を食べたいタイミングで手に入れることができます。しかし、ほんの60年ほど前までは、すべてがそういうわけではありませんでした。保存などの工夫をしながら食卓を作っていたといいます。身欠ニシンも保存食のひとつであり、知憩軒では出される小鉢の定番のひとつになっています。脂が乗った銀色の魚はほんのり甘く、しょうゆ風味でやさしく炊かれて、しっかりした魚の身が口の中に入れるとほろりとほぐれておいしさが広がります。また、ニシンの上には山椒の葉が乗せられ、ニシンの青魚のにおいをおさえて、おいしさを引き立てます。

いもがら(さといもの茎を干したもの)が窓辺にあった

 「ニシンはなくなりそうになると、まとめて何箱かいつも注文するところに頼んでるのよ。ちょうど昨日また買ったところなの」
 長南さんにお話を聞いていると、まだ長南さんが小さかった頃は、今のように各家庭が自動車を持っていたわけではなく、鶴岡の市内へ行くときはバスが移動の中心でしたが、めったに市内までは出ることはなかった、といいます。それでも月に一度くらいは果物売りや肥料(こえ)を買いに町へ行き、箱でハタハタやイワシを買って戻ってくるというのが魚を食べる方法だったといいます。そのようにして手に入れた魚は、まとめ買いのため量も多く、強めの塩やこぬかなどに漬けたり干したりして、少しずつ食べながら冬場の食料の足しにしたそうです。

取材中に近所の子どもが顔を出した

 「昔の焼き魚はしょっぱくて、一切れを3日4日もかけて食べたような気がするよの。特にしょんびき(塩鮭)なんかは。」
 約300年も前から、果物が栽培されていたという西荒屋周辺では、季節に採れた果物をたくさん背負ってバスで町まで売りに行き、代わりに魚を担いで持って帰ってくるということもよくあったそうです。また、北海道に親戚などがあれば季節で採れた柿や豆などの果物や野菜を送り、そのお返しに鮭や鱈が丸ごと一匹届くなんてこともあり、届いたものは保存がきくようすぐに塩漬けなど加工を施しました。ある意味物々交換のようなことも、大切な食料源だった記憶があるそうです。
 また、サラリーマンや医者、大工などの家庭では、集落にはなじみの「アバ(行商)」がバスでやってきて、リアカーで魚を売っていたためそれを購入したそうです。藤島に住む方から聞いた話では、お金ではなく米と魚を交換していたのを覚えているとのことで、お金だけではなくその土地のものを価値あるものとして等価交換し合っていたのでしょう。

 干した魚に関しては、ニシンだけではなく”からかい”や”棒だら”など正月行事で特別に食べるものなどがあります。 保存食というのは、もちろん、魚だけではありません。畑のものだといもがらや干し大根、大豆など、果物では干し柿、山菜では塩蔵のワラビやどんごい(イタドリ)など、あらゆるものにわたります

餅も乾燥させておやつになる

生活の知恵で生きてきた

 「食べ物が体を作る。今はしょっぱいものを悪いって言うけど、昔は汗をかく仕事が多かったし必要だったなやの。それに、獲ったりもらったり、手に入れたときの最高の状態で最高の技術を持って保存するのが生き延びる知恵だなよの。」
 保存食だけではなく、里の食として採集の文化もあります。採集は、主には年寄りと子どもの仕事でした。子どもは、約束のない休みの日は春や秋になると山菜採りやきのこ採りに年寄りとともに出かけていきました。その中で、見つけたりするのは年寄りの仕事、一緒にとって背負って帰るのは子どもの仕事でした。
 「笹巻や、味噌を塗ったおにぎりの弁慶飯を持って、帰るときには籠いっぱいた~くさんとってきて。それを子どもたちがしょってるの。」春先には、学校が終わった子どもたちが、ランドセルを竹やツルでできたかごに持ち替えて、ヒロッコ(あさつき)採りに出かけたそうです。ヒロッコは雪の早く解けたところから掘り出して、採れた分は近所の商店などに売り、小遣いを稼いでくるという子どもの仕事もあったそうです。
 「子どもながらに雪の下から掘る黄色いヒロッコは、やわらかくて物がいいとわかっていたんだろうの。」と長南さん。手を使い、年寄りの動きを見ながら大きくなっていた子どもたちは、そこからも少しずつ生活の知恵を得ていたのでしょう。 保存食も、季節のものを採集することも、限りあるそのときの食材をいかにおいしく食べていくかと言うところが大切です。
 鶴岡へ食を学びに来たある人が言っていました。「限りある厳しい気候の中で工夫されて残ってきた技術がここにはある。先祖が見つけ出した方法を忘れないことで、地球を救う技術になるかもしれない。」当時の人は、そんな先のことは考えていたわけではなく長くても数年先のことだったかもしれませんが、住む場所の気候風土に対応しながら、そこの場所にあうゆっくりとしているけれど、先を考えた暮らしがそこにはありました。
 もちろんこれまでの暮らしと、現在の生活様式はまるで違うものなので技術の発展のある中で、昔と同じ食生活をする必要はありません。しかしながら、その土地の季節のものを採集し保存し食べる。長期保存できる工夫を加え、冬の間も食べ続ける。その技術の中には時代遅れだといって忘れてしまうと宝物を見落とすことになるものがあるかもしれません。

身欠き(みがき)ニシン

ニシンは生の状態では、日持ちがしない。冷蔵技術が発達していない時代は、内臓や頭を取り除いて乾燥させるのが一番合理的な保存法だった。かつては北日本、特に北海道沿岸で獲れた大量のニシンを日本各地に流通させるため、干物に加工したものが身欠き鰊である。当時は安価で貧困層の食物だったが、後に漁獲高の減少からニシンが値上がりしたため、現在は高級食材となりつつある。
ニシンの煮物は京都のおばんざいの定番となっており、ここにもかつての北前船の影響が伺える。

身欠きニシンの煮物

知憩軒
〒997-0332
山形県鶴岡市西荒屋宮の根91
TEL:(0235)57-2130
FAX:(0235)57-4185

営業時間 午前11時〜午後2時
定休日 火曜日
※詳しくはお問い合わせください

〜編集後記〜

楽しそうに話す長南さんの言葉は、ひとことづつが印象的で、映像が目に浮かぶようでした。無い物を求めるのではなく、そこにあるものを楽しむということをしみじみと考えさせられました。季節がはっきりしている鶴岡で、昔の人たちは工夫しながら生きてきました。現代社会はスピード感が重要視されがちですが、ふと立ち止まって足元の魅力を見る時間も必要かもしれません。
またゆっくり、知憩軒のご飯を頂きに行きたいと思いました。

(文・写真:稲田瑛乃)

春の花キクザキイチゲ

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