鶴岡の食文化を紡ぐ人々

No.051 〜さくらんぼ〜
 
鈴木さくらんぼ園 宮城良太さん、妙さん

 鶴岡市櫛引地区は、「フルーツ王国」という愛称で親しまれ、フルーツの品種の数では山形県随一を誇り、さくらんぼ、ぶどう、りんご、洋なし、和なしなど、季節を通じて彩り豊かなフルーツを楽しむことができます。山形県、と聞いて他県の人がイメージするものの代表格がさくらんぼ。鶴岡市は、さくらんぼの生産量としては、県内の村山地域各市町村にはかないませんが、観光農園も点在し、季節になると多くの観光客でにぎわいます。そんな観光農園で働く宮城さんご夫婦にお話をお聞きしました。

左から宮城妙さん、良太さん

さくらんぼ最盛期の西片屋

 6月の中旬、初夏の風にあたりながらやってきたここは櫛引地域の西片屋。さくらんぼのシーズンです。産直のあぐりから、鶴岡市を南北に流れる一級河川の赤川方面へ少し車を走らせると、水色にはためく可愛らしい「さくらんぼ」と書かれたのぼり旗があちらこちらにみえてきます。
 鈴木さくらんぼ園の入口のさくらんぼの木をくぐると、奥の部屋では、たくさんの女性たちがさくらんぼを丁寧に一つずつサイズを測りながら選別、箱詰めをしています。この日も、さくらんぼ農園では日の出から多くの人が収穫のために動き出していたそうです。

一粒づつ丁寧に詰めていく(photo:satomi honma)

 宮城良太さん、妙さんのご夫婦は、妙さんの実家である鈴木さくらんぼ園でさくらんぼの仕事をはじめて5年目の夏になります。お二人は、東京でデザイン関係の仕事をしていましたが、震災を機に妙さんの故郷に戻りました。
 
 二人とも最前線で働いていた東京時代。当時は「50代くらいになれば、鶴岡の親の仕事を継ぐかもしれない、とぼんやり想像していた」そうです。良太さんは宮城県が故郷で、ご実家が東日本大震災で被災した地域にありました。震災が起きたことで、家族が近くに住んでいることの安心感がとても大切だと気付かされたそうです。
 もちろん、2人とも何のためらいもなく戻ってきたわけではありませんでした。特に妙さんは鶴岡にはない物を求め、東京に出たわけですから、30代の働き盛りでまた故郷に戻るのは不安も多かったと言います。しかし、良太さんが「大丈夫!」と言ったことで「大丈夫かもしれないな。」と決心できました。

品種名のスタンプは手書き文字でかわいい

「はじめのうちは、農業に関しても少し甘く見ていて思い知らされた時もありました。東京でやってきた仕事と、もともとこの場所で続いているさくらんぼの仕事をかけあわせればうまく進むと単純に考えていました。」そう話す良太さんは、さくらんぼの仕事をしながら、アルバイトとして働くのとは違う「後継ぎ」としての背負うものの重みを日々感じる、と言います。
 西片屋でさくらんぼの生産が本格的に始まったのが約40年前。さらに、観光さくらんぼ園を事業として開始したのが約30年前です。さくらんぼ農家3軒で収穫体験農園をスタートさせました。現在も園の代表であり、妙さんのお父さんの鈴木伝一さんはスタートメンバーの一人です。現在、鈴木さくらんぼ園は植酸栽培、有機質肥料の施用、減農薬に取り組んでいます。植酸栽培とは、植物の根から分泌される酸(植酸)とアミノ酸・ミネラル・カルシウムを含んだ肥料による栽培方法のことで、美味しく安全で安心して食べられるさくらんぼを、手間を惜しまず愛情こめて栽培しています。

新しいチャレンジ

朝摘みさくらんぼ×朝カフェの様子(photo:sunao kawakami)

 さくらんぼの時期は、6月初旬から7月初旬頃。宮城さんご夫妻が鈴木さくらんぼ園に関わるようになってから、少しずつ新しいチャレンジもしています。たとえば、2014年からスタートした「朝摘みさくらんぼ×朝カフェ」。早朝涼しい時間帯は木の呼吸が減り、栄養分が実に蓄えられ粒が大きくなり、甘味も増します。気温が上がる前のパリッとした食感が1番美味しい時間帯。朝6時半にさくらんぼ園に集まり、涼しいうちにさくらんぼを摘み取り体験をします。その後、朝カフェとして地元のお店の淹れたてコーヒーや、軽食を楽しむことができるプログラムです。
 妙さんデザインのかわいらしいタッチの案内や、丁寧なコメントが人気で、開催の告知が出るとすぐに定員が埋まってしまうことも多いそうです。 

 さらに、まずお客さんを迎えるさくらんぼ園の入口や、木製の椅子やテーブルが配置された空間は、特別な場所に来たようなゆったりとした気持ちになります。「お客さんに触れるところは、2人で相談しながら作らせてもらってます。実際、僕たちが来る前は、人手が少ないこともあったけど、接客や空間で改善できるところもたくさんありました。今ではそういう部分は、僕たちに任せてくれていることもあります。」

Uターンさくらんぼ農家の想い

 「はじめは、販売のほうで僕たちのスキルを発揮することが役割だと思っていたところもありました。しかしいざ開けてみるとそう簡単ではなかった。農家として、おいしいものを作る。一次産業をしっかりとやる。まずはそこからきちんとできないと続くものにならないということに気づきました。」園長である伝一さんと、意見がぶつかったこともあるそうです。しかし、そういう段階を経て、本気で農業に向かうことができるようになった、と良太さんは話してくださいました。

特別な場所に来た雰囲気だ

 こちらに戻ってきてよかったかお二人に聞いてみました。「東京ではもちろんやりがいのある仕事をしていました。だけど、今思うと都会にいると人が多すぎて慣れた人同士しか交流がなかったように思います。これ以上友だちを作っても関係を維持する大変さがある感じでした。受け身というか。こっちに来たら人脈は自分で作っていくしかないし、そうすることでどんどん人の輪が広がっていくのがすごく楽しい。鶴岡にいる方が面白い人に会えるような気がします。」

 良太さんは東京時代にサンバチームに所属していたこともあり、庄内でもサンバを通じて仲間づくりや楽しさを共有できたらと、「庄内サンバチームGongue Ranquista」を立ち上げました。「チーム名の意味は、庄内弁で程度の大きさを表す言葉の一つで“ごんげ=とっても”と、“らんき=一生懸命だ”を合わせた造語で、~の人と言うポルトガル語の-istaをつけました。“とても一生懸命の人”と言う意味です。ぴったりでしょ。」と良太さんは笑います。「そこで作った仲間が何人もさくらんぼの仕事を手伝ってくれているし、うれしいです。」

季節のさくらんぼ園は忙しい (photo:satomi honma)

 「西片屋では他のさくらんぼ農家を見てみても、同世代の後継ぎといえる人がほぼいないんです。僕としては、やめてしまうとか、後継ぎがいないという農園はそこで終わりにしないで、僕たちも何か関わりながら残していけたらと思います。西片屋で大きなひとまとまりにするのか、仕組みを新しくするのか、まだやり方はわからないけれど、せっかくある地域の財産ですから。できれば、農業の技術をきちんと自分のものにしていきながら、西片屋の担い手を引っ張っていけるくらいになれたらという思いもあります。」良太さんは熱く語ってくださいました。

 妙さんも「30代の働き盛りで戻ってくるのもありだと思います。同世代の担い手が周りにいないから、新しい人でもいいから、本気でやる気があるなら一緒にできる人がいればな、と思うこともありますね。地域全体で盛り上げねばの~と思います。」と言います。

次から次に仕事が舞い込んでいる

 さくらんぼ狩りは、親子でも楽しめる人気のあるレジャーの一つです。需要は伸びていますが、担い手不足問題にもぶつかっています。30代の二人にとって、これから10年、20年、と続けていくには、近くで共に農業に携わる仲間が必要だと言います。
 現在、宮城家には娘さんが一人います。さくらんぼの木の下で歩き回る姿は、それだけで癒されます。さくらんぼ農園で、家族や仲間とのゆっくりとした時間は何にも変えがたい贅沢さがあります。季節の果物を楽しみに、食べるだけではなくフルーツ王国櫛引に、ぜひ多くに人に足を運んでほしいな、と思いました。

(写真、文 稲田瑛乃)

さくらんぼ

生産量は山形県が全国一位。西アジア原産で、100年以上前の明治9年、当時の内務省がアメリカやフランスから輸入し、山形市や米沢市に植樹したのが始まりといわれています(やまがた観光情報センターHPより)。
佐藤錦のほか、ナポレオン、紅秀峰、紅さやかなど様々な品種があり、かわいらしい見た目と初夏の甘酸っぱいおいしさが人気。

採りたてのさくらんぼ

鶴岡市西片屋字片貝86(自宅) 
電話 0235-57-4061
mail  info@sakuranbouya.com
 
 

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