鶴岡の食文化を紡ぐ人々

No.057  ~稲の品種改良~

農業 工藤幸一さん ・ 水田農業試験場 中場理恵子さん

明治以降、庄内は民間育種家がたくさん生まれ、熱心に稲の品種改良が行われてきた土地柄です。現在も多くの品種がその遺伝子をひく『亀の尾』も庄内の農家、阿部亀治が生んだ品種です。このほかにも庄内からは59名の民間育種家から175もの品種が生まれています。今回は、数多くいる民間育種家の中でも、37品種を選抜した工藤吉郎兵衛を先祖に持つ工藤幸一さん、山形県の水田農業試験場の中場さんに民間育種や米の品種改良のお話を聞きました。

工藤幸一さん。工藤吉郎兵衛さんのひ孫にあたる。

工藤家では代々農業を営んでいる

ここは、かつて西田川郡京田村と呼ばれたところ。今は京田地区と呼ばれています。田んぼが広がり、その中に数軒から数十軒の家が集まった集落がいくつか点在しています。

綺麗に整った盆栽のあるお庭のある家が、庄内の民間育種家の中で最も多くの品種を選抜した工藤吉郎兵衛さんの子孫の幸一さんのお宅。昔ながらの農家のお家で、敷地の中に蔵や小屋があります。

美しい田んぼが広がる

事前に取材をお願いしていたので、幸一さんはたくさんの資料を用意していてくれました。吉郎兵衛さんは幸一さんのひいおじいさんにあたり、吉郎兵衛さんが庭先で品種改良をしていたことも幼いながら記憶にあるといいます。

 「不言実行の優しい人でした。」幸一さんはそう教えてくれました。

工藤家にはたくさんの資料が残されている

現在、品種改良は公的な農業試験場などで行われています。品種改良とは、現在ある品種のいいところをかけあわせたり、選ぶことで、より環境や希望の収量にあった理想に近づける品種をつくりだすことです。最近生まれた品種では、「つや姫」や「雪若丸」が有名ですが、よく目にする「コシヒカリ」、「はえぬき」なども改良の結果生まれた品種です。

家族一丸で取り組んでいたという

工藤吉郎兵衛さんが品種改良をしていた頃、温室ではなく、庭先に植木鉢をたくさん並べ、一つ一つにかけ合せたお母さん稲とお父さん稲を書いた札をつけ、袋をかけズラーッと並べてあったそうです。稲の世話は家族一丸となってやりました。それ以外にも、工藤家では奉公に来ていた人も何人かいたので、吉郎兵衛さんが管理の要点を伝え、みんなで作業を行っていたそうです。一つの品種が、次以降の世代に特性が受け継がれるようになることを『固定』と言います。たとえば、風に強い稲にするためには、背の高さが低い方が風の影響を受けにくいので、背が低く収量の採れそうな稲同士をかけ合わせ、翌年にその特性がきちんと出るかどうかを試して、それを数年繰り返し、特性が落ち着いたら、鉢植えから面積の狭い田んぼに植え、十分に安定して特徴が出た品種になったらそれに名前を付けます。これでようやく、品種が『固定』された、ということになります。選抜から固定まで、早くても7,8年かかります。

 「素焼きの鉢が、庭にえっぺあるもんだっけ。注文うけて種取りもしてたっけなぁ」幸一さんはまだ幼かったので、本格的な品種改良の作業というよりは、水やりなどの世話の手伝いをしていたそうです。視察や見学の人が毎日のように来たり、吉郎兵衛さんが他県へ視察に行くこともありました。

稲の標本が木箱に収められている

細かく分けて保管していた

立派な木の箱に、親の品種と、品種名を書いたラベルがついているコルクで栓をしてあるガラスの試験管の中には、稲の種が大切に保管されていました。残念ながら長年の保管によって、虫の入ってしまったものもありましたが、吉郎兵衛さんの苦労と細やかさが伝わってきます。紙の袋に入れたものもあったのだそうです。


また、標本と共に手書きで詳細に栽培の様子や特性について書かれた「大正〇年 水稲品種改善 工藤吉郎兵衛」と言う表紙のたくさんの記録書がありました。よく中を読んでみると、何月何日に芽が出たか、穂が出たか、米の質はどうか、というのが詳細に記録されています。しかもそれが、その年の鉢の数だけきちんと整理されているのです。


京田コミセンの近くに功績をたたえた碑がある

幸一さんによると、吉郎兵衛さんは、体格はいい方ではなく、むしろ小柄であったそうです。そういわれてみれば、幸一さんも、見るからに力持ちというよりは、身軽な印象です。吉郎兵衛さんの信頼のおける技術は、鶴岡の町にもよく知られていて、かつて城の堀のあった「百軒濠」を埋めて田んぼにした時に、そこの敷地の世話を頼まれたのが吉郎兵衛さんだったそうです。

 「農家の所得をあげるために、田んぼのあとに野菜を育てる二毛作の研究もしてたなやの。私欲だけではさねもんの。」

中には解説書がある品種もある。

地域の農業進行の発展のために尽くした

もちろん、吉郎兵衛さんが品種改良を積極的に行ったのは性格と好奇心があったからではあるでしょうが、それだけではなく、地域の農業者がもっと豊かになるように、との思いが強かったからです。地域の農業のために、品種改良に人生をかけていた人がいたというのは、庄内の宝物といっても過言ではありません。吉郎兵衛さんを含めた多くの民間育種家は、品種改良だけではなく明治24年に福岡県より『乾田馬耕』という土地を耕すやり方などにも関心を持つ人も多くいました。

乾田馬耕とは、それまで大変な湿地で農作業が大変だった土地に、水路を整え、乾いた土地を馬で耕し土をやわらかくする農業の方法です。これにより収量が5倍になった場所もあったとか。吉郎兵衛さんは、馬耕と共に福岡から伝わってきた福岡式の堆肥舎をはじめて庄内で取り入れた農家と言われています。明治から昭和初期にかけて、多くの人たちが庄内の稲作の振興について研究し、新しい物を取り入れていたのだそうです。

農業試験場では福坊主が植えられている

吉郎兵衛さんが育成した品種の中でもっとも有名なものが、「福坊主」です。大正4年に交配され、山形、宮城、福島、朝鮮、満州で奨励品種となり、昭和14年には東北全体で6万9千haもの面積に作付されました。これは、現在の山形県の稲の全作付面積よりも多いそうです。

品種改良に取り組んでいる農業試験場

現在の品種改良は、昭和20年から農業試験場などで行われています。稲を交配させて、次の世代の種をつくるまでのサイクルをF1世代、F2世代、F3世代…という風に呼んでいます。昔は1年で1世代しか進めることはできませんでしたが、温室で温度管理をすることで、2世代進めることができ、少しだけ時間を進めての品種改良が可能になっているそうです。詳しい品種改良と稲の最近の話題について、藤島にある水田農業試験場で中場さんにお話をお聞きしました。

稲ごとにどの品種同士を掛け合わせたかがわかる

「工藤吉郎兵衛さんの時代は、それぞれが個人でやっていたので、育種家の方が良しとすれば、品種にすることができましたが、農業試験場のような公的機関が主体で品種改良をすると、みなさんに栽培していただくまでに、県内での栽培試験を繰り返してデータをとるなど、評価に2~3年はかかります。ですので、世代を短縮できるようにはなりましたが、取り組んでから新品種として出るまではやはり10年くらいはかかります。」

試験場では日々調査と研究が行われている

こちらの水田農業試験場では、研究員5名、技術員4名、短期雇用の方も合わせて十数名で県全体の育種を行っています。やっていること自体はほとんど吉郎兵衛さんの時代と変わらないそうです。昔は自家受粉の稲は開花してそのままにしておくと受粉をしてしまうので、稲の花の中にあるおしべを朝の花が咲く前に手作業で一つずつ取り除いて別の品種の花粉を入れ、受粉させていたのですが、現在は除雄作業の技術が確立しているので、作業は楽になり、1日に複数の組み合わせを交配させることも可能です。母親になる品種の花を43℃の温湯に5分間浸けて一度にすべての花粉を殺してしまうことができるそうです。それから父親になる品種の花粉を掛け合わせます。

 「簡単なようですが、この温度と時間をひねり出したのはすごい事です。それくらい繊細な作業なんです。品種の育成は地味で根気のいる仕事です。現在はスタッフで力を合わせて行っていますが、この仕事を個人で情熱的に取り組んだ先人たちの民間育種はまさに偉業だと思います」と中場さんは話してくださいました。 

水田農業試験場の案内をしてくださった中場さん

農業試験場にはたくさんの品種改良の試験中の稲の鉢と、外にはすでに固定された品種の稲が植えられていました。田んぼで稲が育っているところを見ると、背の高さや色、実のなり具合や花の咲くタイミングがいろいろなんだということがよくわかります。 

「新品種になるのは、5年で1つあるかないかです。もち米や酒米なども含め、人が食べる品種だけでなく、飼料用米の品種改良も行われているので、みなさんが知らない品種もたくさんあります。少し前までは食味と品質を重視する品種の開発を目指していたのですが、よりリーズナブルな米も人気があり、収量の多い品種が望まれるようになってきました。時代は回っているという感じがします。」

多くの品種が山形で誕生している

農業にまつわる状況は日々変化していますが、いつでもその土地で少し未来の生活を考えながら研究している人たちがいます。食卓のお茶碗一杯にも、たくさんの夢や努力や試行錯誤があっておいしいご飯が食べられているのだな、と感じる取材になりました。
(文・写真 稲田瑛乃)
※ 篤農家(とくのうか)実践的な農業技術・農業経営を研究し、各地での農業指導により先進的農法の普及に貢献した農業経営者・農民

稲の品種

現在、日本で栽培されているイネは約240品種あります。作付面積の約50%以上が「コシヒカリ」「ひとめぼれ」「ヒノヒカリ」「あきたこまち」「きらら397」で占められています。
 国の農業試験場で育成され農林登録された品種はカタカナで5文字以内の日本語による品種名をつけることになっていました。都道府県の試験場で作られた品種はひらがなや漢字が使われていました。現在では必ずしもこのような品種名のつけかたではなくなってきました。

明治時代に本県庄内町(旧余目町)で阿部亀治氏が育成した水稲品種「亀ノ 尾」は、品種改良の交配親として盛んに用いられ、その良食味性が「コシヒカ リ」や「はえぬき」に引き継がれています。この本県育成品種である「はえぬき」は、平成3年に育成され、収量・品質が安定していることから、いもち病に弱く倒れやすかった「ササニシキ」に代わり、瞬く間に県の主力品種に駆け 上がりました。しかし、全国的に「コシヒカリ」の作付けが拡大していく中で、生産者からさらなる良食味品種が求められてきたことから、極良食味系統の開 発が急がれました。 そこで、平成 10 年から「つや姫(山形 97 号)」を山形県立農業試験場庄内支場(現山形県農業総合研究センター水田農業試験場)において育成しました。 

参考:山形県HP

お米の花

農業総合研究センター
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