鶴岡の食文化を紡ぐ人々
No.044 〜国産きくらげ〜
きくらげ農家 鈴木屋本店 鈴木俊将さん(鶴岡市中京田)

きくらげのハウスをバックにした鈴木さん
「就農4年目、きくらげも4年目。」
ご実家では水田と畑で親父さんが現在も中心となり農業を営んでいます。東京で学生時代を過ごしていた鈴木さんは、鶴岡に戻って就農をするにあたり自分で経営することを考えました。地元になかった食材・あると喜んでもらえるもので、ヒアリングとリサーチを重ね、戻ってきて1か月ぐらいで始動しはじめました。当時は、稲の育苗のあとに空いているビニールハウスでできるものということで、栽培はきのこに絞って考えていたそうです。
きくらげのハウスは湿気が重要。スプリンクラーでスコールのように雨が降り注いでいました。明るいハウスの中にきれいに並べられたきくらげの菌床。1年目は500個からはじめ、2年目に1500個、3年目に3000個と数を増やし、現在は4000個。お客さんの需要や認知度と共に生産数を増やしていると言います。

家族ぐるみの作業です

なじみの方に手伝いに来てもらっている
顔の見える販売をして認知してもらう
はじめたころは、地域でまだなじみのなかったきくらげ。品目として大変だったのは販路だったと言います。櫛引で開催しているこしゃってマルシェ等のイベントや産直施設などで販売しながら、徐々に認知度を上げるとともに栽培も増やしていった、と振り返ります。
産直施設では販売コーナーの前に立って直接お客様の前に立ちPRをすることも多いそうで、最近は関東方面のイベント出店もあり土日は忙しいのですが、行けるときには率先してお客さんの前に出るようにしているのだそうです。最近では庄内地域できくらげをはじめた農家も徐々にですが10件弱にまで増えてきています。いいものを必要な時に届けられるように、日々楽しみながらやっていけたら、と鈴木さんはいいます。

丁寧に広げ天日乾燥させる
「学生時代は法律を勉強してたんです。家も農家で、ちっちぇころから稲とか豆とか育てているのを見てたし、こういう環境で育ってきたからなんだかんだで農家になろうと思っていたんです」と鈴木さん。後継ぎに関して、親から強く言われるようなことはなかったと言います。大学時代は専攻の勉強以外に、大学1年目から食のイベントや学生と農家をつなぐ学生団体を立ち上げ、東京に住んでいた頃はそちらへ精力的に力を使っていたそうです。
「高校を卒業して首都圏で暮らしていると、地元で感じている自然や農業、食と人のリアリティがなかった。目の前にある食材は、農家が一生懸命育てて、仕入れて、料理されているという流れが全然見えない。たくさん人が暮らしているのに、みんながおんなじことしてる。オレん中ではそれがアホくさく感じて(笑)、もっと自分の周りからでも農家や農業に触れて知ることが必要だと思った。」

これからぐんぐん大きくなるきくらげ
ここで暮らすということ

中京田の公民館。ここで集落のイベントが行われる
「うちの中京田地区は、80haの耕地面積です。ほかの場所と同じように、ここでも高齢化は進んでいて、農家の後継ぎの自分にも集落の人から『おらほの土地もなんとかしてくれちゃー』と言われることがあります。田んぼだけじゃなく、集落の維持についてもこれから直面する問題の一つだと思うんです。行事やイベントもあったり、周りの人に仕事があれば座っておしゃべりしながらできる作業を楽しんでやってもらえて少しでも収入になるような、そういういい関係を維持していきたいと思っています。だから、これからは人の関わりと言う目線でも、きくらげを一つの事業として、次の作物を考えていけたら。」

村の中を案内してくれた
約30世帯が暮らす中京田。30代以下の若い世代も20名弱はいるのだそうです。もうすぐ結婚する予定だという鈴木さん。集落と言う小さい範囲の仕事の作り方と、首都圏などへ向けて発信する広い視点を両方持ちながら、鶴岡らしさや鈴木さんらしさを大切にしながら人や農作物と関わっていく将来も楽しみです。
(文・写真:稲田瑛乃)
国産きくらげ
鍋物や炒め物にも使え、栄養価が高いことも人気のひみつ。
国内に出回るきくらげのほとんどが中国産。