鶴岡の食文化を紡ぐ人々
No.072 玉子焼きと婚礼汁
新茶屋 渡部政一さん
新茶屋の歴史
新茶屋の創業は1772年~1780年(安永年間)頃といわれ、初代は上肴町(現在の本町3丁目)で魚屋をしていました。上肴町は当時庄内浜の魚が並ぶ町で、魚行商の人達が「お昼に何か食べるものはないか」ということで昼食を提供したことが料亭の始まりといわれています。その後、一時は料亭と共に旅館業もしましたが戦時中の休業を経て1954(昭和29)年に、料理屋として再開しました。
新茶屋といえば、1階の大広間に面した470坪の広い庭園と樹齢数百年を経た老松が訪れる者の目を惹き、新茶屋の歴史を感じることができます。
四季折々の鶴岡らしい料理
毎年2月中旬になると大きな雛段が飾られ、春の味覚を用いた雛会席や雛弁当が提供されます。その後も、春を代表する山菜や孟宗、サクラマスのあんかけが振舞われ、夏にはゆり根のあんかけ、口細カレイやだだちゃ豆、秋には秋鮭、冬には寒鱈や新酒など旬の味覚を季節の庭園の風情と一緒に楽しむことができます。
玉子焼き(蒸し玉子)と婚礼汁(嫁っこ汁)
山形県庄内地方生活文化研究書(※)に「鶴岡の大山楼、新茶屋で名物としている卵焼き」との記載があります。新茶屋の「玉子焼き」は正確にいうと「蒸し玉子」であり、地元産の卵、酒、しょうゆ、砂糖で作り蒸しあげた料亭の味で、新茶屋の名物として提供されます。
「昔は、冠婚葬祭の際に料理の他に持ち帰り用の折があり、その折に入れる料理として使われていた」と渡部さんはいいます。
残念ながら玉子焼きに関する古い文献等は残されていません。しかし政一さんの曾祖父が作っていたことから大正時代には作られていたものと推測できます。「以前は囲炉裏の上に銅鍋、その上に銅板を置き、さらにその上に炭火を置いて5時間かけて作っていました」。そういって政一さんは今残っている銅鍋を出してくれました。この銅鍋では玉子3㎏(約60個分)で玉子焼き50切れ分を焼くことができます。
「今は一つ一つ型に入れて蒸して作っています。『玉子焼き』ではなく、正確には『蒸し玉子』であるため、お客さまには『玉子焼きという名称ではおかしいのでは?』と言われることもあります」と苦笑する政一さん。今では、鶴岡の郷土料理の一つとして、鶴岡のスーパーや産直でそれぞれの生産者さんが作る『蒸し玉子』がお惣菜コーナーに並びます。
一方『婚礼汁』について伺うと、明確な記録は残っていませんが大正時代には作られていて、婚礼のときにお出ししていた、いろいろな食材を入れたハレの日のお汁だということです。
※山形県庄内地方における伝統的食生活文化の研究 高垣順子
嫁汁(嫁っこ汁、婚礼汁とも云う)婚礼献立に出るもので、すりみ(径1cm)、簾巻豆腐(径3cm 厚さ3mm)、わらび(2cm)たけのこ(小乱切り)、しいたけ(せんぎり)が入った味噌汁。
コロナ禍を経て
もともと新茶屋では団体向けのお客様が多いということもあり、新型コロナウィルス感染症が蔓延し始めた2020(令和2)年から、お客様の数がぐっと減り、大変な時期がありました。
「以前は団体でのお客さまのみ受け入れ、2~3名の場合はお断りしていたのですが、今は少人数でも受け入れるようにしています。また『玉子焼き(蒸し玉子)』をふるさと納税の返礼品にしたり、産直などで取り扱ってもらうことで広く皆さんの手にとっていただき、懐かしんでくださる人にも届けばとも考えています」。
時代の変遷とともに残すことと始めること
「昔と今では、まるっきり料亭の位置づけが変わってしまいました。以前は、お客様のご要望により芸者さんを呼ぶこともありましたが、今はそういった文化もこの店ではなくなりました。その代わり、外国からのお客様が日本らしいしつらえや食を求めてお一人でもやってきます。以前でしたら考えられないことです。余談ですが当館のお手洗いにあるタイルがとても古いもので、貴重なものだということで取材を受けたこともあります」。
「料理を提供する場所だけではなく、お雛様の季節には、お雛様を愛でていただきゆったりとした時間を過ごしていただければと思います。時代とともに変わる料亭文化の残すべきところと変わっていくところを考え、次世代に残すべきものは残していきたいと思っています」。
玉子焼き(蒸し玉子)と婚礼汁
明治時代より作られている婚礼汁(嫁っこ汁)は、婚礼のときにお出ししていたいろいろな食材を入れたハレの日のお汁。
婚礼汁
新茶屋
鶴岡市本町3丁目11-39
TEL 0235-22-0521
11:00~22:00 (要予約)
(月曜定休)