家庭に伝わる行事食

お正月

 「盆と正月が一緒に来たよう」とは、行事や吉事が重なり、にぎやかなことを例えた俗言です。お正月とお盆と半年に1度、多幸を願い、豊作豊漁を祈り、収穫に感謝して、ご先祖を敬う年中行事は古くからの日本のならわしです。
  お正月は1月1日から20日まで の間とされ、1日を「大正月」、7 日から10日までを「松の内」、15日を「小正月」といい、正月の祝い納めとなる20日を二十日正月といって、 お祝いの行事が行われてきました。
  日本のお祭りなどには「神饌(しんせん)」といって、神様に献上する食事がつきものです。 そのおさがりを いただく「神人共食」が、日本の祭礼の大きな特徴です。 神饌は、御 飯、御酒、御鏡といわれるように、飯、酒、餅を主に、海・山・川の恵みを添えます。神様をもてなし、豊穣に感謝し祈願する、その想いを形にしたものです。
 

元日
【1月1日】

 新しい1年を迎えられたことを祝い尊び、年神様の依り代(よりしろ)となる 門松を立て、ゆずり葉などをあしらった正月飾りをします。
 昔は元日の朝に家の主人である 男性が早く起きて、家内安全と無 病息災、まめに働き暮らせること を願い、豆がらに火をつけ、薪を 燃やして炭を起こし、餅を焼いて 雑煮を作りました。 「元日に慌ただしく働くと福の神が逃げる」「元日 や三が日は包丁を使わない」などともいわれ、女性たちは台所仕事を休んで、朝は雑煮、昼はありあわせで済ませ、夕食は「食い初め」と いってたくさんの料理を食べるのが ならわしでした。 おせち料理は「御 節」と書くように、節目の中でも特別なお正月にいただく縁起物づくしのお重。前日に作っておいて、こちらも神様にお供えしてからいただきます。
 また、温海の関川地区などでは、「いただき」と呼ばれるお膳に餅と7つの穀物、山の産物などをのせてお供えし、7日の七草に汁にしてたべる風習があるそうです。供え物は、干し柿、かやの実、銀杏、たらの芽などの山のものと、ゆり、ところ(野老)、昆布など。

 

お正月のお膳の一例

【お正月のお膳の一例】

〈一の膳〉
り根のあんかけ
 あんかけは昔からお祝い事には欠かせない一品です。
煮しめ
 具材は、油揚げ、芋がら(からとり芋の茎)。他にもからとり芋やにんじん、こんにゃく、孟宗筍、塩なすなど。一つの鍋で煮ることから、家庭が円満であるようにとの意味合いもあるようです。
鮭の味噌粕漬
 新巻鮭や塩鱈の場合も。
こづけ
雑煮

 具材は油揚げ、芋がら(からとり芋の茎)、岩のりが主で、その他わらびやこんにゃく、もだし(ナラタケ)、ごぼう、ねぎ、せりなど家庭によってさまざま。にんじんと大根やかぶなど紅白の食材を入れる場合もあるようです。
はりはり大根
 寒風にさらして干した大根(干し大根)を水で戻し、青豆と昆布、数の子やするめなどを入れたしょうゆ漬。

〈二の膳〉
黒豆煮
まめ(まじめ)に働き、まめ(元気)に暮らせますように。
昆布巻き
よろこぶの語呂合わせ。昆布は「広布(ひろめ)」とも表されることから、良いことの広がりや、世間に名が広まる=立身出世などの願いも。
金平ごぼう
ごぼうのように地に根を張って生活が送れるように。家庭隆盛。「金平」の名は坂田金時(金太郎)の息子金平のことで、江戸時代に流行した浄瑠璃「坂田金平武勇伝」の豪傑な主人公にちなんで名づけられました。家族が強く丈夫に過ごせるように願って作られていたようです。
からげ煮
からげとは地方名で「かすべ」「からかい」などといわれるエイの一種を観物にしたもの。代表的な行事食の一つで、動物性たんぱく源としても重宝しました。
赤こごみの炒め煮
他に、棒鱈煮玉子、寒天(卵寒天、くるみ寒天)、紅白なますなめこなます栗きんとん、数の子、納豆汁ウマヅラ汁など、地域や家庭によってさまざまです。

正月(食い初め)

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七草
【1月7日】

 中国の陰陽五行説がもととなった日本の「五節句」の一つで「人日(じんじつ)」にあたる1月7日に、七草粥を食べて祝います。
 7種類の野草「七草」は、せり、なずな(ぺんぺん草)、ごぎょう(母子草)、ほこべら(はこべ)、ほとけのざ(たびらこ)、すずな(かぶ)、すずしろ(だいこん)のこと。これらを粥に炊き込んで食べることで、お正月でもたれた胃を休め、冬に不足しがちな野菜を補い、春の菜を食すことで厄を払うと伝えられてきました。
 鶴岡ではこの時期はまだ雪深く、春の七草が手に入らなかったため、大根、かぶ、ねぎ、ごぼう、にんじん、豆、小豆、昆布、山菜など身近な食材で代用していました。これらが入った雑煮や汁を食べる地域や家庭もあります。温海の古い資料には、年男が羽織袴や裃姿になって七草をまな板にのせ、包丁で刻みながら唱えごとをしたとの説も残っています。

蔵開き
【1月11日】

 歳夜に閉めた蔵の戸を、新年に初めて開く行事。福神を象徴する大黒柱にお供えした餅で雑煮を作り、お神酒や数の子などの酒肴を添えて祝います。

蔵開きの献立の一例

鏡開き
【1月11日】

 元旦に年神様にお供えした鏡餅をおさがりとしていただきます。餅を包丁などで「切る」ことは縁起が悪いとされ、木槌などで割って「開き」ます。餅はひび割れやカビが生えないように水に浸けた「水餅」にしたり冷凍するなどして保存し、雑煮やあんこ餅、ふくとり餅(きな粉餅)などにしていただきます。

小正月
【1月15日】

 かつての月の満ち欠けを基準とした太陰暦(旧暦)の上では、新月を月初めの1日、満月(十五夜)を15日としてひと月の長さを決めていました。現在に太陽暦(新暦)が使われ始めてからも、月齢の「旧暦」を用いた行事や習慣は色濃く残っています。
 旧暦では、1月15日に十五夜を迎えたことから、現在をこの日を「小正月」、「旧正月」と呼んでいます。昔はこの翌日を「藪入り」といってお嫁さんが里帰りをする機関としたことから、「女正月」ともいわれました。
 小正月には、五穀豊穣を願う農耕儀礼の一つとして小豆粥を食べますが、鶴岡では餅をついて雑煮やあん餅、家庭によっては納豆汁やしょうゆ餅などを食べます。他に尾頭付きや煮しめなど元旦の大正月同様にごちそうを作って食べていたこともありました。また、小正月には飾りやお供え物として、木の小枝にナシダンゴといわれる餅花の飾木を作ったり、集落の神社などに集まってその年の豊凶を占む祭事などが行われていました。

節分
【2月3日】

 季節の変わり目に、豆をまいて邪気や災難をはらい福善を願う、春を呼ぶ行事です。
 もとは旧暦の大晦日に行われる「追儺(ついな)」や「鬼やらい」といわれる宮中行事で、季節が変わる節目に邪気=鬼をはらうため、豆を打ち付けて退治をするといういわれがあります。豆を年齢の数だけ食べると1年間病気にならないというのもよく知られたならわしです。
 鶴岡では酒とするめ、炒り豆を神棚に供え、拝んでから豆をまく家庭が多いようです。戸を開け放ち、家の主人が「福は内、福は内、鬼は外」と言いながら奥の間から玄関へと次々に戸を閉めながら豆をまきます。また、魔よけとして、かぎの鼻に鰯の頭を刺して戸口に立て、戸を開け放って豆をまいて邪気払いをする例もあるようです。

◇豆焼き占い
  どの家庭にも囲炉裏があった頃、まいた豆を12個(うるう年は13個)拾っていろりの灰に並べて「豆焼き」し、豆の焼け具合で1年間の月別の天気を占いました。
   ・ 豆が白く焼ければ晴れ、黒は雨、赤くなれば風
   ・ 上旬、下旬(あるいは上・中・下旬)に分けて、焼ける時の煙や炎の様子から風の吹き方も判断

初午
【2月の最初の午の日】

 立春を過ぎた最初の午の日に、お稲荷さんをお参りします。京都伏見の稲荷大社の祭神が稲荷山の三ヶ峯に鎮まった日にあたることから稲荷の祭日となりました。稲や穀物、食物を司る稲荷神(宇迦之御魂神(うかのおたまのかみ)/倉稲魂神)をまつる神社を詣で、五穀豊穣や福徳を祈願します。
 鶴岡では家々でお稲荷様にお供えをしたり、稲荷詣でをしたりする場合もあるようですが、一般的にはあまり見られなくなりました。
【お供えの一例】
 小豆ごはんまたは赤飯
 油揚げ
 酒
 お菓子
 芋ふかし

初午のお供えの一例

桃の節句
【3月3日、4月3日】

桃の節句のお膳の一例

 雛人形を飾って、女の子の成長や幸福を願うひな祭り。昔は、旧暦3月上旬の巳「上巳(じょうし )」の節句として、冬から春へと移ろう頃に、「人形」(形代)に身の穢(けがれ)を移して川などに流し、祓(はらい)清める習慣がありました。それはやがて「流し雛」の風習となり、女の子の人形遊びと習合して、美しい雛人形が作られ、雛祭りが女の子の祭りとして祝うようになりました。
 「桃の節句」ともいわれるように、桃は古くから邪気をはらう霊木とされ、「生命力」「不老」「平和」の象徴と考えられてきたことに由来します。鶴岡では3月3日より前の良い日を選んで雛人形を飾り、桃の枝、ひなあられ、雛菓子、菱餅、甘酒などをお供えします。当日の夜はお膳にごちそうを供え、4日にはきなこ餅を供え、お雛様を片付けるとされてきました。お雛様を早くしまわないと娘の婚期が遅れるといわれているためです。
また、鶴岡では3月3日に行う家と、ひと月遅れの4月3日に行う家があります。昔は子どもたちが数人連れ立って家々を回り「お雛見」を楽しんでいました。「お雛様を見に来た」というと、どこの家でも喜んで家に招き入れ、甘酒やお菓子を振る舞っていました。

【桃の節句の献立】
 赤飯
   古くは赤い色で邪気をはらうとして凶事に食べられていました。いつから反転したのかは不明ですが、吉事(または平時)に食べることで縁起直しを図ったと考えられています。
 ぜんまい煮
 あんかけ(ごま豆腐のあんかけ
 尾頭付き(鯛)
 煮物(油揚げと根菜の煮物)
 汁物(ハマグリのお吸い物)
 和え物(えごあさつきの酢味噌和え
 甘酒(白酒)
 水ようかん

   他に紅白や三色の菱餅、酢の物、寒天や草餅、春の野草など、地域や家庭によってさまざまです。
◆雛菓子〈ひながし〉
   雛菓子といえばひなあられなどが一般的ですが、かつての京都の文化を受け継いでいるといわれる鶴岡では、野菜や果物、鯛、サクラマスなどの縁起物をかたどった愛らしく華やかな練り切りや葛菓子などの雛菓子を飾ります。

桃の節句の献立

 
 
 

春彼岸
【3月20日頃】

 春分の日(3月20日頃)を中日に、その前後3日ずつを合わせた計7日間がお彼岸の期間です。彼岸は仏教用語で、春分には太陽が真西に沈むことから、極楽浄土の在所を正しく示し、往生の本願を遂げさせるためにこの時期に先祖の霊を供養する仏事を営みます。
◇彼岸の入り
   白玉だんごを作って、仏前にお供えします(迎えだんご)
◇春分の日 彼岸の中日
   ぼた餅を持ってお墓参りをします
◇彼岸明け
   白玉だんごを作って、仏前にお供えします(みやげだんご)
ぼた餅
   ぼた餅とおはぎ、この2つは同じものです。春は牡丹の花にちなんで「ぼた餅」、秋は秋の七草の一つで初秋に咲く萩の花にちなんで「おはぎ」と季節で呼び名が異なります。春秋を区別せずどちらもぼた餅と呼ぶ家庭もあり、小豆以外にも、ごま、くるみ、きなこ、しょうゆなどをまぶして食べる例もあるようです。
あんかけ(ごま豆腐のあんかけ
酢の物(赤かぶの酢の物
汁物

   他に、煮物、ぜんまい煮、青菜のおひたし、にんじんの白和え、ごぼうのたたきなど。

春彼岸の献立

端午の節句
【5月5日】

端午の「端」ははじめのこと。もとは旧暦の5月初めの午の日だった端午の節句は、後に「午」と「五」の音が重なることから、5月5日になったとされています。
 奈良時代から続く行事で、古代中国より伝わり、端午の節句には野に出て薬草を摘み、よもぎでった人形を戸口にかけ、菖しょう蒲ぶ を入れた酒を飲んで、病気などの災難のおはらいをしていました。江戸時代頃から、菖蒲が尚武(武を重んじる)に通じるとして、男の子の立身出世を願う行事となり、神様を招く鯉のぼりを立てたり、神様の依り代となる武者人形を飾って、男の子の健やかな成長と出世を願うようになりました。
 邪気をはらうために菖蒲湯に入ったり、粽ちまきを作ったりするのは中国伝来のしきたりの名残です。
菖蒲╱よもぎ
   菖蒲とよもぎを束ねて、戸口や神棚にお供えします。菖蒲は昔から薬草として用いられ、煎じて飲んだり、根は胃痛や解熱、ひきつけ、創傷などの漢方薬にもされていました。よもぎも古来漢方薬として、食用、入浴剤、お茶などさまざまな用途で広く利用されてきました。
【献立の一例】
笹巻き

   全国的には「ちまき」といわれていますが、東北地方を中心に「笹巻き」と呼ばれています。灰汁にもち米を浸したものを笹で巻いて煮た、黄色いゼリー状の笹巻きが鶴岡風。灰汁煮しないもち米の色そのままの白い笹巻きは北庄内で作られています。
   巻き方は「三角巻き」の他に、何枚もの笹の葉を使って巻き上げる「たけのこ巻き/祝い巻き」や、ころんとした形の「こぶし巻き」などがあります。よもぎやごぼうの葉を入れた草餅にあんこを入れ、鉈(なた)の形に巻く「なた巻き」も。「笹巻きは灰汁次第」といわれ、ナラやブナの雑木を焼いた木灰を使うとおいしく煮上がります。
   笹の葉は土用のものが良いといわれ、7月頃に採って陰干しにし、乾燥したらポリ袋などに入れて保存しておきます。使用する前の日に笹の葉に熱湯を注いで一晩置き、1枚ずつよく洗って使います。
   笹の葉には防腐剤の役目をする物質が含まれ、餅や漬物の保存に使用する場合もあります。
   ごはん(孟宗ごはん
     和え物(こごみのごま和え、にんじんの白和え)
   煮物(孟宗筍と油揚げの煮物)
   尾頭付き(鯛)
   水ようかん
   汁物

 他に、酢の物や寒天など。

端午の節句の献立

凍み餅節句
【6月1日】

 近年見られなくなった行事で6月節句ともいわれ、夏に負けないようにとの願いを込めながら凍み餅とごちそうを食べます。凍み餅は1年でもっとも寒いといわれる大寒のうちに作るとされ、作り置きしておいた凍み餅とを食べ、ほうきの葉やぶどうの葉に凍み餅を包んで神様にお供えをして、田植え前のひと休みとしました。また山あいの地域では、山に入る時に凍み餅を持って行くと災難を逃れるといわれ、また、焼かずに食べられることから非常食、携行食としても重宝しました。
 現在、温海の関川地区あたりでは、7月1日を「凍み餅の日」として、この日まで我慢して食べずにおいた凍み餅を食べる楽しみな日となっているようです。

凍み餅節句の献立

さなぶり
【6月の田植後】

田植えが無事に済んだお祝いと体を休める意味合いがあります。田が良くなるようにとの願いを込めて、緑色のごぼう葉餅や草餅(よもぎ餅)などを食べました。

七夕
【7月、8月7日】

 織姫(織しゅく女じょ)と彦星(牽けん牛ぎゅう)が天の川を渡って出会う伝説は、奈良時代に中国から伝わりました。もとは機織りが上手な織姫にあやかって、技芸の上達を願う「乞きっ巧こう奠でん(節)の習俗に基づくとされています。
 この中国のならわしが、日本の古代の棚機津女(たなばたつめ)信仰と融合して、日本独自の行事になりました。鶴岡では7月または8月に行う家庭があります。
 「一夜泊まりの七夕様」といって、6日に松明を焚いて七夕様を迎え、7日に送り、供物を川に流していたという逸話も。また、織姫と彦星が出会うための着物として、仏壇の脇に男物と女物の浴衣を飾るという説もありました。
 
 1月1日、3月3日、5月5日、7月7日という節句の中でも、唯一、星にまつわる七夕の行事。天の川をはさんで、こと座のベガが織女星、わし座のアルタイルが牽牛星です。
【お膳の一例】
 なすの田楽
 なすの鍋焼き
 煮物(油揚げ、こんにゃく)
 ところてん
 そうめん

七夕のお膳

虫送り
【7月15日】

 作物などの害虫を防ぐために大勢で松明を灯し太鼓を叩いて、村はずれまで稲虫の作りものを送り出す行事。よもぎと白餅をお宮に持ち寄って神主に祈祷してもらい、その御札をよもぎに付けて水口に差します。盗人送り、ねずみ送りの行事もありました。

夏の土用
【7月20日頃から、立秋の前日(8月7日頃)まで】

 本来は春夏秋冬の四季ごとに土用があり、季節が移ろう期間のことをいいます。
 夏の土用の期間中の丑の日は、「土用の丑」といって1年で1番暑い日といわれ、暑さに負けないようにうなぎのかば焼きやどじょう汁を食べて養生する習慣があります。
 奈良時代の和歌にも詠まれるほど古くからの習慣ですが、一般に広まったのは江戸時代になってからです。
どじょう汁 
  水ぬるむ初夏に活動を始め、5~7月の腹子を持つ頃が旬といわれ、昔はよく小川や水田の堰などで獲れていました。獲ったどじょうは、一晩ほどきれいな水で泥抜きをします。また、秋の稲刈り前のどじょう獲りは楽しみの一つで夏負け回復の栄養補給として卵とじなどにして食べていました。

夏の土用の献立

お盆

【7月、8月13~16日】

 ご先祖の霊をお迎えして供養する行事で、13日の精霊迎えから16日の精霊送りまでの期間をいいます。鶴岡市街地、加茂、湯野浜地域は7月13日から16日に行い、それ以外の地域では8月の同日に行うことが多いようです。
 江戸時代までは全国的に7月15日を中心にお盆としていましたが、明治時代に新暦(太陽暦)が採用されると、新暦の7月は当時の農家にとって1年でもっとも忙しい農繁期のためゆっくりと先祖供養ができず、1カ月時期をずらして8月に月遅れ盆を行うようになりました。

精霊迎え
【13日】

 各家庭でご先祖の霊を祀る精霊棚を作り、盆花を供えます。支度が整ったら、餅やあられ(刻みなす)を重箱に詰め、花や菓子などを持ってお墓参りに行きます。夕方には門前で迎え火を焚いてご先祖様の霊をお迎えします。

精霊送り
【16日】

 供物を川や海に流し、ご先祖様の霊をお送りします(朝ごはんをお供えしてから午前中のうちに)。

亡霊(亡利)供養
【24日】

 亡霊(亡利/もり)供養。庄内地方独特のもので、ぼた餅を持ってお墓参りをし、塔婆を立ててご先祖様を供養します。以前は鶴岡市清水にある「モリ山」に参拝しましたが、現在では各寺院で供養が行われています。
【お膳の一例】
 ごはん
 漬物
 南禅寺豆腐

    直径12、13センチの丸い曲げ物に布を敷き、豆乳を注いで自重で寄せて作ります。ひっくり返して枠を取ると丸いお椀を返した形に。
 煮物
   ところてん
 汁物(吸い物、すまし餅、八杯汁など)

    八杯汁は、あまりのおいしさに「もう一杯、もう一杯と八杯も食べた人がいたことから名づけられました。
 
   うちわ餅
   お盆やお膳にハスの葉やからとり芋の葉を置き、その上に大葉の葉を5枚敷いて白餅を5個のせます。もう一対にはあんこや雑煮の具をのせる場合もあるようです。

◇牛と馬
   ご先祖様が乗って帰ってくるための牛と馬を作って供えます。地域で異なりますが、なすで牛、きゅうりで馬を作るのが一般的です。「お迎えは足の速い馬に乗って、お送りする時は牛に乗ってゆっくりとお帰りください」とする地域や「ご先祖様は馬の背に乗って、荷物は牛の背に乗せて」という地域も。いずれも昔は最高の乗り物とされた牛と馬で送り迎えようとするご先祖様への敬意が込められています。
 また、きゅうりとなすを1センチ角に切り、ハスの葉の上に乗せる家庭も多いようです。供花はほおずき、ききょう、おみなえし、みそはぎ、すすきなど。料理は他に、そうめん、あんこ餅、なすみょうがの田楽なすの鍋焼き、きゅうりのなます、油揚げ、ねじりなす、山菜の天ぷら、ぜんまい煮、ごま豆腐、夕顔のけんちん、いんげんの和え物なども。
  牛…へた付きなす
  角…青唐辛子
  足…柳
  耳…枝豆
    尾…稗、すすき、とうもろこしの毛
  鞍…昆布の腹巻き
  馬…きゅうりまたは夕顔
  足、耳、尾は牛と同じ。足は割り箸などで代用する場合も。
 
13日の朝、小鉢に入れた水を稗の穂かぼうず花(千日紅)で、牛と馬にかけてあげます。

 あられなど

◇精霊棚
   仏前に精霊棚を作り、盆花を添え、野菜や果物をかたどった精霊菓子を下げ、盆灯篭を飾り、季節の野菜がのったお膳、果物、餅などの供物を上げます。

亡霊(亡利)供養の献立

秋彼岸
【9月23日頃(前後3日間)】

 秋分の日(9月23日頃)を中日に、その前後3日間ずつを合わせた計7日間が秋のお彼岸です。彼岸の入り、彼岸明けには白玉だんごを作って仏壇にお供えします。春のお彼岸の「ぼた餅」が秋は「おはぎ」と名を変えて、同じように家々で作り、それを持ってお墓参りをします。

【献立の一例】
 ごはん(きのこの炊き込み)
 煮物(凍み豆腐の煮物)
 白和え(にんじんの白和え)
 酢の物(からとりの酢漬け
 汁物(なめこ汁)

 他にずんだ餅、五目おこわ、からとりのおひたしなど、各地域、家庭によってさまざまです。

秋彼岸の献立

十五夜(豆名月)
【9月15日】

 秋の名月を鑑賞するお月見。縁側に机を置いてお供え物をします。稲刈りを控えたこの時期に豊年を祈り感謝し、また、ご先祖様を偲意味もあります。
昔の暦では7~9月を秋としていたことから8月を中秋といい、旧暦8月15日(新暦の9月下旬)の満月を「中秋の名月」と呼んでいました。秋の収穫の頃に、月の形に作物の姿形を重ねて「芋名月ともいわれています。
【献立の一例】
 月見だんご
 豆ごはん
 枝豆
 ぼた餅
 さつまいも
 果物
 など
 稲穂に見立てたすすきや、なすを12個(うるう年は13個)、花などの月見飾りをします。

十五夜(豆名月)の献立

十三夜(栗名月)
【10月13日】

 お月見といえば中秋の名月が有名ですが、平安時代の中頃から、ひと月遅れの旧暦9月13日(現在の暦で10月中旬から下旬)の十三夜もまた美しい月であるとしてお月見をするようになりました。「後の名月」「栗名月」「豆名月」ともいわれています。
 十五夜と十三夜をあわせて二夜の月と呼び、十三夜を見逃すと片月見といって忌み嫌うといったならわしもあります。待宵の月(十四夜)、十六夜月、立待月など、旧暦の月の名前は満月を境にその満ち欠けと、人々が月を愛で、自然とともにある生活のあり方が見て取れます。
【献立の一例】
 月見だんご
 栗ごはん
 栗
 ぼた餅
 さつまいも
 果物
 など

十三夜(栗名月)の献立

田の神上げ
【11月23日】

 春に山から田へと下りた神が田の神となり、その勤めを終える秋には山にのぼって山の神になるといわれています。田の神上げは、1年間田を守っていただいた神様に感謝し、山へと送る行事です。地域によって違いはありますが多くは11月23日で、「新嘗祭」を行って秋の収穫に感謝を捧げます。
 鶴岡でも稲作地帯では盛大に祭礼が行われます。家々で餅をついて鎮守のもとへ届け、参拝する風習がありました。餅を取引先や商店などにも配り歩く大人たちに子どもたちがついて回ったというのも今はなつかしい風景です。
【献立の一例】
〈一の膳〉
 ごはん
 漬物(赤かぶ漬け
 尾頭付き(口細ガレイ)
 酢の物(いくら(はららご)なます
 雑煮
〈二の膳〉
 煮物(鮭と大根の煮つけ
 おひたし(菊のおひたし

 他に、あんこ餅やつゆ餅、油揚げの煮物や田楽、なめこのおろし和え、吸い物など。鶴岡ではその年にとれたもち米で餅をつき、稲穂やお神酒、新米と尾頭付きの魚とともに神棚に供えます。その年の新米ごはんをこの日に初めていただきます。

田の神上げの献立

大黒様のお歳夜
【12月9日】

 頭巾をかぶり、右手に打ち出の小槌、左肩に福袋を背負って、米俵に乗った七福神の一柱、「大黒様(大黒天)」。五穀豊穣、商売繁盛、子孫繁栄などの願いを叶える福の神として信仰されています。
 大黒様はインドに起源を持ち、もとは今の姿とは程遠い、恐ろしい様相をした戦闘神の性格を持っていました。しかしのちに中国に伝わると、食物や財福を司る神として信仰され、密教とともに日本に伝来します。以来、鎌倉時代から江戸時代にかけての福の神信仰の深まりとともに、大黒様は庶民の家の台所などにまつられるようになりました。外国由来の神様がこれほどまでに日本で親しまれるようになった理由には、同じ「だいこく」様である日本在来の神の大国主命や、「田の神」と習合した背景があるからともされています。田の神は、秋の収穫が終わると山に戻って山の神となり、春にはまた里に下りて田の神として豊作をもたらすことから、庄内では11月23日に新米を初めて食する「田の神上げ」が伝えられています。それに続く庄内ならではの行事が12月9日の「大黒様のお歳夜」です。
 お歳夜とは神様の年越しのことで、家々で豆づくしの料理をこしらえ、「まっか大根」といわれる二股の大根などをお供えして、1年の感謝を捧げ、翌年の豊穣や子孫繁栄を願います。

【献立の一例】
 黒豆ごはん
 納豆汁
 黒豆なます
 ハタハタの田楽
 焼き豆腐の田楽

 他に、新米のごはんや豆腐汁、煮物(からげ、大根、ずいき芋、にんじんなど)、炒り豆のみそ和え、大根漬けなどを作る場合も。お供え物はまっか大根と御神酒が主で、ほかには米炒りやおこし、豆炒りや升一杯の豆、財布などを神棚にあげる風習も見られます。

 「大黒様のお歳夜」は庄内独自の行事でその歴史をたどると、文化10(1813)年、庄内藩士の金井国之助の家の年中行事の記録に、12月9日「大黒天御年越家々是を祭る」とあり、「甚だしきは豆腐を以て 四十八色の料理 御神前に上げるといへり」と、48もの品数を用意していたことが読み取れます。文久3(1863)年12月9日の武家の記録には「夕飯 大黒歳夜」として、豆腐1丁半、黒豆1升5合、米8合でお膳を3つ用意したと書かれ、献立には打ち豆や大根などを使い、豆腐のぐつ煮、納豆、炒り豆などを盛り込んでお供えしていました。
 時代は下がって昭和10(1935)年、播磨で農業を営んでいた齋藤家の資料には次の献立が記されています。
 ・豆腐田楽
 ・豆なます
 ・黒豆飯
 ・塩鱈に豆腐汁
 ・酒1本
 ・お神酒 まっか大根
 夜 硫黄つけ
 このほかに、米を炒って砂糖をつけて食べたという記録も。「夜 硫黄つけ」とあるのは火種作りで、麻の茎の繊維部を取り除いたオガラ(麻幹)に溶いた硫黄をつけたもののことです。

 昔も今も変わらない献立が「豆づくしの料理」で、そのいわれは諸説ありますが、「まめ(手まめ)に作った料理をいただいて、家族がまめ(丈夫、健康)に暮らせるように」「働くことが好き(勤勉・まめ)な大黒様にあやかって」などの願いが込められています。また、豆や大根といった、当時の代表的な畑の作物をお供えすることで、農耕神である大黒様への信仰を表したという説もあります。
 一方で、昔の献立に「ハタハタの田楽」は見られず、ハタハタを食すのはこの時期に獲れる子持ちの魚を食べて子孫繁栄を願うという意味合いが伝えられています。さらには「鰰」の漢字のつくりにあたる「神」は雷を意味するとあり、「鱩」とも書くように、庄内は冬の雷が多発する珍しい地域であることから、雪おろしの雷が鳴る頃、産卵のため深海から浅い岩場に押し寄せるハタハタを縁起物として食したとも考えられます。
 また、大黒様のお歳夜の象徴的な供物である「まっか大根」には次のような説話があります。大黒様が腹痛を起こしていた(あるいは空腹だった)ところに、大根洗いをしていた農家の嫁が二股の大根の片方を差し上げたところ、大黒様は腹痛が治まり大変喜ばれ、その後、お嫁さんは幸せに暮らしたう。そのため「まっか大根は大黒様のお嫁様」「大黒様のお歳夜は大黒様が妻を迎える夜」ともいわれてきました。
 台所の神様としての信仰からやがて田の神の側面も持ち、商家では商売繁盛の神としての役割も果たすようになった大黒様。「大黒柱」という言葉もあるように、かつての日本家屋は屋外と地続きの土間と床との境に太い柱を建てて支え、その柱に面して台所をつくり大黒様を祀っていたといわれていす農作業や畑仕事から帰った家人が土間で疲れた腰を下ろすと、台所から大黒様がにっこりと福々しいお顔で迎え入れたのでしょう。「大黒様のお歳夜」は、手まめ足まめに働いて作物を得る喜びを知る農の民の信仰であり、日本有数の稲作地帯である庄内独自の大黒信仰の形といえます。

大黒様のお歳夜の献立

山の神のお歳夜
【12月12日】

 山の神は山を守り司る神で、山の精でもあるといわれています。秋の収穫が終わると山へと帰り、春になると田に下って、田の神になるとされています。
 温海の関川あたりでは9月12日が山の神の日で、その日は木を切ったり倒したりすることを忌む風習があります。
【献立の一例】
 餅(あん餅、しょうゆ餅)
 尾頭付き
 煮物
 なます
 きんぴらごぼう

 他に、「粢(しとぎ)」といって米を水に浸し粉上にはたいたものや、自家製のそばなどを作る例もあり、御神酒(おみき)と餅(白餅)を12個ちぎって供えるともされています。

山の神のお歳夜の献立

冬至
【12月21日頃】

 一陽来復、1年でもっとも昼が短く、夜の長い日です。昔からこの日はゆず風呂に入り、かぼちゃを食べると風邪をひかない、災いを防ぐなどの言い伝えがあります。かぼちゃは体を温める働きがあるとして、寒い冬を無事に過ごすために考えられた昔の人の知恵といえます。
【献立の一例】
 冬至かぼちゃ

 

冬至の献立

年越し準備
【12月25日~31日】

 昔は1週間ほどかけて正月を迎える準備をしていました。以前は12月13日を正月の事始めとして、みんな一斉に大掃除に取りかかっていましたが、最近は家庭ごとに予定を決めて、大晦日に大掃除をする場合も多くあります。
 大掃除の最初の「すす払い」には「祓う」という意味もあり、1年の汚れを落として穢れ(けがれ)を清めます。すす払いが済むと、門松や正月飾り、鏡餅などの用意をしますが、これらは「苦」を避けるため9のつく九日飾りは忌まれています。一日飾りも同様で、29日に餅をつくと「苦餅」、31日につくと「一夜餅」として、その日を避けて支度をします。
 玄関に立てる門松は、お正月の神様である年神様を迎えるための依り代となり、清めの意味を持つもの。しめ縄などの正月飾りとあわせて厄災を避けるために結界を張ることで、家は聖域となり年神様と共に過ごす準備が整います。

◇櫛引、朝日地域の例
 25日 すす払い
 26日 納豆作り
 27日 豆腐作り
 28日 牛、馬の正月用えさ刻み
 29日 もち米とぎ
 30日 餅つき
 31日 門松とゆずり葉を立て、おせち料理を作り、お供え等の準備をする。ゆずり葉は古葉と新葉が入れ替わり成長する常緑樹木の葉で、代々の繁栄を意味します。

大晦日
【12月31日】

  大掃除で払い清めた家で、年神様をお迎えする日です。大晦日は、心身も清浄に、家族みんなで寝ずに静かに夜を明かして年神様を待つのが本来でした。
 朝日地域や温海地域の一部では、大晦日にご先祖様を迎える御魂様(みたまさま)のお供えが今も伝えられています。身を清めた後で、十二支を示す12個(うるう年は13個)の小盛りのご飯に箸を突き立て、栗や豆、昆布、干し柿、みかん、するめなどを添えます。ご飯一つ一つを暦の月に例え、ひびが入った月は天気が良く、入らなかった月は雨が降るという年占いもあるようです。
 また、大晦日に年越しそばを食べる風習は、細く長く幸せに暮らせますようにという願いが込められています。
【献立の一例】
 新米ご飯
 塩鱈と豆腐煮

   新年もたらふく食べられるようにと願いを込めたもので、吸い物にする地域もあります。
 煮しめ
 納豆汁
 ぜんまい煮
 二股の地ねぎや白髪ねぎ

   共に白髪になるまで長生きしようとの願いを込めて、根元のつながった2本のねぎをお膳にのせます。
   他に、柿(干し柿)なますやくるみなます、鮭のみそ粕漬けや塩引き鮭など。

大晦日の献立

鶴岡市独自の食文化を行事ごとにご紹介します。

わらびのアク抜きや魚のさばき方など、料理に役立つ知識をご紹介。


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「つるおかおうち御膳」とは?

鶴岡の郷土食を紹介するレシピ集です。この地で受け継がれてきた郷土食。「最近食べていないなぁ、懐かしいなぁ」「コレ、ばばちゃんがよく作ってくれたな」「久しぶりにコレ、作ってみようかな」と、レシピ集を片手に懐かしんでみてはいかがでしょうか。鶴岡市内書店にてお買い求めいただけます。

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